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童心と三昧

更新日:7月3日

こんにちは!


 

一歳の誕生日を過ぎた息子は、最近数字に興味を持っています。


カレンダーの日にちを読み上げたら大興奮したのに始まって、


時計や、クイズ番組のカウントダウンなどにも興味津々なので、数字をテーマにした絵本を買い与えてみました。


さすがに意味や数えることまでは理解していないと思いますが、どんな感覚で捉えているのかこちらも興味津々です😳


数字のみならず、あらゆるものに興味を示して夢中になる子供の様子は、とても新鮮です。


電気のスイッチをひたすら押し続けたり、スライドドアを永遠に開け閉めしたりする息子を見ていると、


自分は大人になるにつれて、生活の必要に直結しないものごとは頭から無駄と切り捨てるようになってきたことを認識させられます。


無駄なものごとに熱中することで心や人生が豊かになることもあるのに🤔


ナンシー関もそんな事を言っていたなあ。。。


 

息子のように、我を忘れて対象に没入することを「三昧」と言いますが、


この言葉、元々はヨガ用語の「サマーディ」です。


サマーディとは、ヨガの八支則、すなわち八つの部門の最終段階であり、


ざっと言うと”心を特定の対象へ意識的に縛りつけ、次いでそれを拡大し、


しまいには対象と心の区別がつかなくなった状態”の、最後の部分のことです。


対象のみに占められた意識では、主観のフィルターが機能せず、したがって煩悩の湧き起こる余地がありません。


そして、伝統的なヨガのエクササイズは、心身の統御を経て、そのような境地を目指しています。


こう表現すると難解でイメージしづらいですが、そこまでガチ勢じみていない、マイルドなスタジオレッスンにおいても、


運動に集中できると、雑念が消え、意識が澄み渡り、時間の感覚を忘れ、心も穏やかになることがあるのは、


皆さま経験がおありではないでしょうか。


アーサナという運動の段階(八支則の3番目)で、その先にあるサマーディの兆しをつかめているわけですね。


さらに言うと、生徒さまもインストラクターも、たいていは「健康」という重要な関心事を見据えてヨガを行じるものでしょうけれど、


良き集中状態にあるときは、そのような未来の目的も意識から消え去っていると思います。


また、くまなく動かして身体の隅々に意識を向けることは、普段ないがしろにしがちな周縁へも光を照射する営みで、


ある意味、日々の生活においては、優先順位が低い=無駄に属するとも言えます。


誰もが求める健康という大目標が意識外に飛ぶほど、無駄なことに没頭できるヨガ教室の空間が心地いいのは、


合理性とか損得勘定とは離れた感覚が得られているということなのだと思います。


そもそも、ヨガにおける幸福の定義は、物質的な豊かさや生活上の満足とは違うベクトルにあるという話はまた別の機会に。。。


常に動き回っている息子をヘトヘトになりながら眺め、そんなふうに無駄な思考に没頭してみました😌



 
 
 

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