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【2023/10/12更新】祖母の旅立ち

こんにちは。


 

先月、岩手にいる祖母が他界しました。


小さい頃から毎年遊びに行き、東京にも来てくれて、たくさんお世話になった祖母でした。


東京に住んでいた父方の祖父母も大好きでしたが、


岩手の祖母は、美しい田園風景や家族旅行という特別なノスタルジーとともに心に喚び起こされる存在です。


卒寿を迎えた祖母は、ここしばらく入院しており、食が細くなってゆるやかに衰えていると言われていたので、


先々の覚悟はしていたつもりですが、思った以上に早く旅立ってしまいました。


2週間後には会いに行く予定だったのに。。。


報せを受けて、スヴァスタのレッスンも別の仕事も急遽お休みをいただき、妻と岩手へ向かいました。


火葬に立会うことができ、親族とお見送りをしましたが、亡骸を見ても、御骨になった姿を見ても、


こちらに戻っても、全然実感がわかず、悲しいという気持ちに至らず、不思議でした。


多分、気軽に会える距離で暮らしていたわけではないし、すぐには現実として受け止められなかったんだと思います。


数日後、よく口にしていた方言のセリフをふと思い出して、もうあの声が聞けないのか、と思ってポロポロと泣いてから、


やっと亡くなったことに向き合いだせたような気がします。


 

偶然、直前に参加したヨガの勉強会で、亡くなった命についての話題が挙がったのを思い出します。


曰く、命は無になってしまうのではなく、『千の風に乗って』に象徴されるように、


大元へ還っていき、世界に遍く沁み渡っている。


ヨガと関連深いヴェーダーンタの思想は、このような、


「個体という単位で世界が分断されているように見えるのはフィクションで、実際にはすべてつながっているのだ」


という不二一元論に基づいています。


死を経ることで、個が個を失い=超えて、元々のつながりの中に融けていくということですね。


死後についてどう捉えるかは、遺された側の問題であるうえ、正解というものはないと思いますが、


この考え方だと寂しさも少し和らぐし、私はなんだか気に入りました。


祖父が早逝したため、女手一つで母姉妹を育て、晩年まで活動的に趣味に生きたおばあちゃん、


これからも見守っていてほしい気持ちと同時に、お疲れさま、ゆっくり休んでくださいという思いでいます😌


自分もいつか大元に還るとき、また会えることに想いを馳せつつ。


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